竹田市で講演しました。その1

こんにちは、ひさしです。

今回は、鹿児島から竹田に移住した2組の友人夫婦(佐々木家・友永家)とのご縁で、竹田市で講演してきました、というお話です。

7月におおいた豊後大野ジオパークでの講演にお招きいただき、その足で佐々木家に会いに行ったところからこういう運びになりました。4年ほど前に鹿児島で一度だけお会いしていた友永英治さんも実は竹田のご出身で当時は鹿児島勤務だったのですが、会社を辞めて昨年、竹田へ。現在は地域おこしの仕事をされているのですが、なんと竹田で佐々木家と知り合い、一緒に「EDIT TAKETA」という活動をされています…スモールワールド!

7月に行ったときの写真。

「EDIT TAKETA」という活動は、「生活を再編集する」というコンセプトで、自分たちの生活を違った角度から見直すことで自分たちの土地を愛したり豊かに暮らす視点を広げよう、という活動です。僕へのオファーとしては、竹田の町を地質学的に、地球という視点でみたときにどう面白いのか、また、地球環境やSDGsにつながるように、ジオパークの視点も含めて話をしてほしい、というものでした。

EDIT TAKETAのロゴ。かっこいい。

お受けしたものの、竹田の地質や生活をきちんとみたことがないので、まずはご案内をお願いしました。長年、竹田地域の地質を研究していらっしゃる工藤幸久先生(ゆきちゃん先生)に、竹田の地質的なみどころを教えていただきました。ゆきちゃん先生はこんな冊子の編集もされています。「奥豊後の地質遺産」という8ページの小冊子。

これ、本当に素敵な冊子です!

この冊子と、地質図幅(リンク先からDLできます)、大分県地質遺産(これも DLできます、素敵)なんかで下調べをしてある程度入れておいた知識と、今回ご案内いただいて現場で見たものとを合わせて理解できた概略は、以下のとおり。

竹田地域は、阿蘇カルデラの4回にも及ぶ超巨大噴火の噴出物が台地をなし、それを川が削りこんでできた平地に集落が作られています。とくに阿蘇カルデラの4回目の噴出物の量は膨大で、384 立方キロとも言われます。この体積を薄くひき伸ばしても、九州全土を 10 mもの厚さで覆ってしまうほどの量になります。阿蘇すげえ。

このものすごい量の堆積物を削りこんだ川沿いの平地に、集落(城下町)が作られています。城下町では、舗道や石碑などの石材にこれでもかというほど凝灰岩(火山灰などが固まってできた岩)を使っていたり(加工しやすいらしいです)、特に柔らかい軽石の層を掘り込んで倉庫を作ったりなど、地質の特製をうまく利用して生活してきた痕跡がいたるところにみられます。

↑この石碑の

この黒い模様が凝灰岩特有の証拠だったり

この田んぼも火砕流台地にある。山の上で標高が高いのに水田、というのは変な気がしますが、火山灰が固まって水を通さない層があり、うまく用水路で水をひくことで稲作が可能になっているようです。

城下町の舗道は凝灰岩でがふんだんに使われていました。

「荒城の月」で有名な岡城も、阿蘇由来の石材や川に削り残された地形ををうまく利用し「日本最強」といわれる難攻不落の山城をなしていました。

右側に見えている岩肌が阿蘇の凝灰岩による絶壁、その上にさらに凝灰岩を積み上げた石垣がそびえます。地質の特徴をうまく利用して攻めにくい城にしています。

一方、川に削りのこされた台地の方は広大な農地として、カボス、とうもろこし、レタス、トマトなど、高冷地や酸性土壌、寒暖差のある土地に適した作物が育てられています。湧水が豊富であることも、火山灰が熱で融けた(溶結といいます)層が不透水層となっていることが幸いしているようです。

あるものや条件をうまく使って生活を営んできたことを伺うことができ、その豊かさに感じ入りました。阿蘇からはやや離れた地域のようですが、阿蘇火山の恵みに満ちた素晴らしいところだなー、と感じました。

そんなわけで、こういうのを題材にしながら、講演に臨みました。

つづく。

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