100年後の町のことを

明日は新月、ということで神社詣りの日。
なのだけど、お客さんご案内の予定があって行けそうにないので、今日のうちに行ってきました、薬師堂のお掃除。先月1ヶ月は来れなかったので、だいぶ落ち葉が積もってましたが、30分ほどできれいになりました。

軽く汗かいて、いい気持ち。
半月に一度だけど、清々しい気持ちにさせてもらってありがたい。
気温が下がって蚊もいなくなったので(夏場はほんとすごいんです…)、落ち着いてしずかな気持ちで手を合わせられました。

落ち葉をかき集めながら、ふと疑問が湧きました。

このお堂はいつからあるんだろう?
神様を彫ったり、お堂を建てた人は、どんなことを願っていたんだろう?

*****

そんなことを考えていたら、先日、豊後大野市役所で SDGs の研修をやらせてもらったときのことを思い出しました。

4時間ほどの研修の最後に、「自分たちの町がよくなるために、自分たちの組織でできるプロジェクトを思いっきり考えてみよう」という内容の問いかけに対して、なんと「磨崖仏を彫る」というプロジェクトが出てきたのでした!
(※ 豊後大野には、阿蘇カルデラからでてきた火砕流が固まってできた凝灰岩を掘り抜いて作った磨崖仏が多数あるんです。けっこーすごい。ググってね)

みんな笑ってる。笑

けど、僕はこのアイデアにけっこー衝撃を受けました。
というのも、以前読んだ Life Shift という本に『時間がたっぷりあると思えば、立派な大聖堂を建てられるが、四半期単位でものを考えれば、醜悪なショッピングモールができあがる。』という言葉があって、なるほどなーと印象に残っていたからです。

ヨーロッパの大聖堂や、日本の古い仏閣、寺院などは、数百年、場合によっては千年以上も昔の人が建てたもの。当時、その建設に関わった人たちは、完成後にそこを訪れる人たちの心の平穏を願っていただろうし、数十年後、数百年後の子孫たちが暮らす町の繁栄を願っていたはず。

そういうものって、即効性はないけど、時を経るほどそこを訪れた人が受け取るものは大きくなる。
そんな気がします。

100 年後の子孫に渡す宝を「今」作ろう、ということを本当に考えて始められるプロジェクトってどのくらいあるんだろう?

地質学を学んできた自分でも、自分たちが始めるプロジェクトの成果は数年とか、せいぜい10年先くらいまでしか考えられていなかったことに気付き、はっとさせられました。
今の利はなくても、100年後の町のために始める、そんな視点も持ってもいいのかも、と思ったのでした。

*****

硫黄島にあるこの小さなお堂、今では僕を含めて 3 人しかお参りしませんが笑、はるかな昔の誰かが僕たちのために造ってくれたのかな、そんなことを思うと、これまでより大切にしたい気持ちが湧いてきました。

ええ話や〜

関連記事