硫黄島体験記 飯川慎子さん

2020年3月に硫黄島にきてくれた大学生、飯川さんの感想です。

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島へ向かうフェリーから見た硫黄島は想像していたより大きく、 ごつごつとした山肌、山頂からモクモクと立ちのぼる白い煙に 硫黄島という名前はこの島にぴったりだと思った。

血のように赤い海。
青い海が一望できる緑色の温泉。
澄んだ空気に満天の星空。
硫黄島の自然は、私が今まで見たことがないものばかりだ。

なかでも赤い海。それも赤潮ではなく、鉄により赤く染まっているという海は神秘的な感じさえした。
温泉と海水が混じっているので、温泉由来の塩分濃度が低く赤い水は上に、塩分濃度が高く透明の海水は下にあるという。ハカセには潜っても暗くて透明な水は見えないよと言われたけれど、どうしても海の中を見てみたかった。

鹿児島市よりも南にある島とはいえど、3月の海。冷たいのを覚悟して、走って一気に海に入る。が、思っていた以上に冷たくない。 そのまま海の中を歩いていると、ところどころ温かい場所があることに気が付いた。砂の中に足を突っ込むと、さらに熱を感じる。それは温泉が湧き出ている場所だった。

顔を海につけて、恐る恐る目を開けてみると、目の前が真っ赤に染まった。 海岸に打ち上げられているごみの量から勝手に海の中も汚いと考えていたけれど、実際はごみなんてほとんどなく、海水自体はとてもきれいだった。

硫黄島では楽しい思い出がたくさんできた。
みんなで食卓を囲んで、おいしいねって言いながら、同じ釜の飯を食べたこと。
近くの山から木を拾って、五右衛門風呂を沸かしたこと。
夜、空を見上げると、誰かが空に絵を描いたのではないかと疑うくらいの、たくさんの星が明るく煌めいていたこと。
硫黄岳を見上げながら、生えていた蔦をロープ代わりにみんなで長縄をしたこと。

 

でも同時に悲しい現実も知ることになった。波に乗せられて、日本や中国、さらにヨーロッパからのごみが岸に打ちあげられていたこと。漁業で使われる網が海のごみとなり、カメが捉えられていたこと。

自然を守りたい、自然の美しい景色を失いたくない、と思って選んだこの道だったけれど、
この道は本当に間違ってはいなかったのか?
これからの大学生活でどんな選択をしていくべきか?
本当に自分がしたいことは何?
これからの人生どう生きていく?

悩みすぎて訳が分からなくなっていた私に、この島で一つの答えを見つけた。

とりあえず今を全力で生きる。

いつ噴火するかわからない島で、一日一日を大切に生きているハカセを見ていた。
庭の畑で育てている作物、土鍋で炊くご飯、瓦のかまどにダッチオーブン。
坂道を自転車で、全力で登る姿、一緒にした長縄。
奥さんをとても大事にし、初めて会った私たちのことを親身にもてなしてくれた。
その姿を見ていて思った。 回り道をしたっていいじゃないか。
経験は無駄にはならないし。今という時を大切に全力で生きよう、と。

地球規模で感染症が起こっている。連日暗いニュースが流れ、世間はその話題で持ちきりだ。
硫黄島から帰った後、日本でのコロナウィルス感染者数は爆発的に増えだした。
私の学校でも部活が禁止され、春休み明けの授業開始が延期になった。
誰にも会うことを許されず、一人家の中に引きこもって何をすればいいのだろう。
全力で生きるって何だろう。
人は無力だ、と思う。

手元であらゆることができる時代になったのに、それは万能ではなかった。

とりあえず今は、私の周りの人が、日本が、世界が、明るい未来を迎えられるように願うのみ。
将来のことは分からない、計画が立てられない、と言っていたハカセがくれた 23 年後の約束。
その時にまた元気なみんなと会えますように。

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