ジオストーリー・ジオサイト(竹島)
ジオサイト
ジオサイトは、自然と人類の歴史のなかで重要な出来事を、科 学的・歴史的な裏付けをもって紹介する場所です。目の前の景色をよく知ることで、実はその景色はとても複雑で美しい ものであることがわかります。ジオサイトはそうした世界の魅力を伝える場所でもあります。
ジオストーリー
ジオサイトは島内あちこちに点在し、そこで語られる時代も様々ですが、実はそれぞれが関わり合っていることがあります。ジオストーリーは、その関わりのある点をつなげた話(ストーリー)です。ばらばらに散らばった話をつなげるので、ジオストーリーで扱う時間と空間の範囲はとても広くなります。空間は地図で表す大きさに、時間は地球の誕生から現代までの長さになります。
人は自分が体験できないことを、物語によって想像の中で体験する能力があります。人はジオストーリーによって、日常生活では体感できない巨大な私たちの世界の実相を垣間見ることができるのでないでしょうか。
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古い火山の噴火により赤壁をつくる赤い地層ができました。A次に、7300年前のカルデラ噴火により火砕流が噴火し堆積します。その一部は団結して凝灰岩になりました。B同時に、カルデラが陥没し、竹島の南側に断崖が現れます。Cカルデラ噴火によってできた、凝灰岩は300年ほど前の江戸時代より「竹島石」として石材に使われるようになりました。Dまた、火砕流に覆われた大地にはリュキュウチクが生えるようになり、現在私たちは特産品の「大名筍」としてその恵みを頂いています。E

A 赤壁
B 竹島港の火砕流堆積物
C 籠港(カルデラの緑)
D 竹島石で作られた狛猫
E 大名筍
  • 1 オンボ崎 遣唐使船が難破し、漂着した人々を弔った伝説のある岬。今では海を隔てて硫黄岳がよく見える眺めのよい場所となっている。難破した船に乗っていた遣唐使、大山下・高田首根麻呂(だいせんげ・たかたのねまろ)を祀ったのが大山神社である。
  • 2 籠港 鬼界カルデラの噴火口の北東縁にあたる断崖を利用した古い港で、いまは避難港となっている。風化した流紋岩の白い浜が美しい。約400段の階段が下まで通じるが、現在崩落の危険があり立ち入り禁止となっている。階段ができる前は、岩礁から陸へつり橋(モッコ橋)を架け、重い荷物をテゴ(籠)に背負い、行き来していた。
  • 3 竹島墓地 少なくとも江戸時代以降の墓石が点在する墓地。成長した植物によって傾いたり倒れたりしているものもあり、自然と人間の営みのバランスを見ることができる。石材には、アカホヤ噴火によって堆積した溶結凝灰岩(竹島石)が使われている。また、竹島独特の墓の様式も興味深い。
  • 4 聖大明神社 大昔大浦が陥没してそこに神竜が現れて石になり、その時の神のお告げで建てたとされる神社。豊玉姫(トヨタマヒメ)と彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)を祀るとされている。鳥居をくぐって階段を下る珍しい「下り宮」であり、古くから地域の踊りが奉納されてきた場所でもある。社の前に鎮座する狛犬ならぬ狛猫(唐猫一対)は、カルデラ噴火の溶結凝灰岩に平山登右衛門が彫刻したものである。
  • 5 井川 アカホヤ噴火によって堆積した溶結凝灰岩の上面を流れ集まった地下水が湧き出す場所。石の階段は1716年、鹿児島本土から来た石工職人の平山登右衛門が作ったとされるもので、古くから水汲み場として島民に利用されてきた。よく見るとその階段には人々が踏みしめた跡がくぼみとして残っている。水の使い方については、「水が湧く一番奥が一番川。その次の二番川で飲料水をくみ、三番川では野菜や食器を洗い、4番川で洗濯をする」という厳しい決まりがあり、境目を切石や玉石で区別していた。奥には水神様、階段下には地蔵が祀られている。
  • 6 学校の石碑 竹島地区民総出の奉仕作業で整地された広場に建設された竹島小中学校。この工事のため、長瀬海岸の砂を取り尽くしてしまったとされる。昭和31年に完成を記念して石碑が建てられた。この石碑もまた、アカホヤ噴火によって堆積した溶結凝灰岩が使われている。
  • 7 竹島港 三島村の玄関口であり、カルデラ噴火以前から、噴火の始まり、クライマックスへと移りゆく一連の噴火の推移を読み取ることができるサイト。
  • 8 赤壁 島の東端に位置する海岸線の露頭で、カルデラ噴火以前の噴火の痕跡が残される。見事な赤色の断崖には、噴火開始から次第に鎮まってゆく噴火の推移を読み取ることができる。